366 国鉄札沼線の休止区間レール「樺太鉄道」へ。

現在のJR札沼線の区間は、“桑園―新十津川間”(76.5㌔)だが、昭和47年6月18日までは、新十津川から留萌本線の石狩沼田まで111.4㌔を結んでいた。石狩川左岸には、函館本線があり開拓が進んでいたが、右岸一帯は開拓が遅れていたので、近隣町村の有志が集まり時の政府に対して、毎年、札沼線建設着工の請願を送ったが、側に函館本線があるためその重要性に乏しいと採択はされなかった。その後、地元新十津川出身の議員の力により、ようやく帝国議会で採決された。工事は工区を4工区に分け、昭和2年から始まり、そして、札沼北線・札沼南線として部分開業し、昭和10年に札沼線として全線開業した。その後、札沼線の線路は、戦争の影響を多大に受け、昭和18年10月に“石狩月形―石狩追分間”が休止、さらに、翌昭和19年7月には“石狩当別―石狩沼田間”が休止となった。これは、樺太(現サハリン)に建設中の「樺太鉄道」の気屯線および古屯線敷設のためのレールに、この休止区間のレールが転用されたのである。そして終戦後、“石狩当別―浦臼間”は復旧したが、その先、全線の復旧は皆目見当もつかない状態であったが、沿線住民の待ち望むこと10年、昭和31年11月に全線が復旧した。しかし、地方の過疎化やモータリーゼーション等の影響で、特に利用率の低かった“石狩沼田―新十津川間”(34.9㌔)が昭和47年6月19日をもって廃止されてしまった。さらに、来月の5月7日をもって、“新十津川―北海道医療大学間”(47.6㌔)が廃止されるのである。全線開業から今年で85年目を迎える札沼線だが、休止になったり、レールが「樺太鉄道」に転用されたり、再度復旧したり、本当に歴史に翻弄された鉄路だったといえる。

●昭和40年代の「国鉄札沼線路線図」(桑園―石狩沼田間)P4260113.JPG

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