379 北海道にあった日本最初の鉄道「茅沼炭鉱軌道」。

安政3年、茅沼にて偶然、石炭が発見された。開港まもない箱館(現函館市)にとって、欧米の蒸気船用の石炭の確保は重要であった。直ちに箱館奉行所は、茅沼にて石炭の調査を開始した。そして、元治元年に箱館奉行所は米国人技師を招き、茅沼炭鉱の採掘を開始した。そのような中、人力による採掘運搬を見て、英国人技師エラスムス・ガウワーが、効率化のために「鉄道(トロッコ)」の建設を提案、慶応2年には測量が開始され、建設が始まった。しかし、明治元年からの戊辰戦争(箱館戦争)の影響により建設は中止、やがて建設は、江戸幕府から明治政府に受け継がれ、明治2年に開通した。開通したのは、“茅沼炭鉱坑口―茅沼港(積出港)間”の2.8㌔で、鉄道とはいっても、仮設軌道やトロッコ鉄道に近いものであった。記録によれば、『枕木は約150㍉×150㍉1500㍉の角材を用い、約900㍉間隔で並べ、レールは枕木と同じ寸法の角材に、補強用の幅15㍉の鉄板を取り付けたものを使用、軌間(レールの間隔)は約1050㍉(3尺5寸)であった』という。また、貨車(トロッコ)は、大型と小型のものがあり、茅沼炭鉱坑口から積出港までは緩やかな傾斜であることを利用し、“茅沼炭鉱坑口―積出港間”は、貨車の重さを利用して坂を下らせ、制御のため人が1名乗車していたという。また、“積出港―茅沼炭鉱坑口間”は、牛・馬で、場合によっては、人力で動かしたという。小型貨車は、茅沼炭鉱坑口に滑車を設置し、2台の貨車を長いロープでつなぎ、井戸の釣瓶のように2台を交互に動かす方法をとっていたという。その後、開拓長官であった黒田清隆は、停滞していた北海道開拓を促進するため、幌内炭鉱の開発と茅沼炭鉱の整備を行うための予算を政府に上申し、明治11年5月に裁可された。この予算の茅沼炭鉱関係の内容は、『輪車路改築&渋井築港』の2点であったが、渋井は港に適さなかったため後に茅沼築港に改められている。また、明治14年完工したこの整備工事により、レールが鉄製に置き換えられた。この「茅沼炭鉱軌道」は、明治5年9月12日の日本初の鉄道といわれている“新橋―横浜間”より、3年も早く、北海道に鉄道があったという史実である。ちなみに、この茅沼炭鉱は、昭和39年8月30日をもって閉山された。

●全盛期の頃の「茅沼炭鉱」P7051047.JPG

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