テーマ:国鉄青函連絡船

〔マイコレクション400 〈ポストカード〉青函連絡船~青森―函館~(8枚セット)〕

今回紹介するのは、函館市の㈲小嶋北星堂から定価300円で発売された〈ポストカード〉の「青函連絡船~青森―函館~(8枚セット)」である。この〈ポストカード〉には、国鉄青函連絡船全盛期の頃の雄姿が8枚のカラー写真に収められている(摩周丸・八甲田丸・津軽丸・松前丸・羊蹄丸・十和田丸・大雪丸)。私も学生時代の帰省などで、40~50回は乗っている…
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〔マイコレクション304 チャレンジ乗船記念証明書〕

今回紹介するのは、JR北海道函館支店から発行された「チャレンジ乗車記念証明書」である。これは、“87連絡船フィーバー~心にきざもう連絡船の旅~”というイベントで、〈チャレンジ7船(八甲田丸・大雪丸・摩周丸・羊蹄丸・十和田丸・石狩丸・桧山丸)〉のうち5隻以上に乗船した人に配布された「証明書」である。 ●チャレンジ乗船記念証明書(表)…
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〔旧国鉄青函連絡船・摩周丸再訪①〕

今日、天気も良かったので妻と二人で久しぶりに「函館市青函連絡船記念館・摩周丸」付近を散策してきた。その時の写真をアップする。 ●摩周丸全景 ●摩周丸と旧シーポートプラザ(旧青函連絡船待合室) ●摩周丸船名 ●摩周丸シンボルマーク ●摩周丸乗下船通路 ●摩周丸固定器具(船と岸壁をつなぐ器具)
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函館の船舶模型作り名人・釜谷さんの大型模型「洞爺丸」展示。

次は、旧国鉄青函連絡船「洞爺丸大型模型」の話題を一つ。函館の船舶模型作りの名人として知られた釜谷弘さんの没後10年をしのんで、遺作の「洞爺丸模型」(縮尺80分の1・製作日数約1年4カ月)の展示が8月11日から、FMいるか2階の「カフェ・ペルラ」で始まった。展示を企画した長男は「模型は、皆さんの目に触れて愛されるのが一番。父が魂を込めて作…
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44 函館市青函連絡船記念館摩周丸「普通船室用乗下船口」。

現役当時の青函連絡船の「乗下船口」は、左舷側の船楼甲板に2カ所、遊歩甲板に1カ所が設備されており、それぞれに桟橋側よりタラップに接続されていた。この写真にある船楼甲板のものが「普通船室用乗下船口」、遊歩甲板が「特別船室用(グリーン席)乗下船口」であった。
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42 旧国鉄青函連絡船「貨車航送用引込線跡」。

この写真の、左の遊歩道から右の海の手前までは、青函連絡船現役の頃は、奥にみえる連絡船の船底に貨車を搬出入するための「専用引込線」が多数あり、昔は「9600形蒸気機関車」が、後には「DE10形ディーゼル機関車」が日夜天候に関係なく貨車の搬出入に従事していたのである。
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39 旧国鉄青函連絡船の「自動車航送」。

昭和42年6月1日より、青函連絡船の遊歩甲板後部を整備して、「乗用車」の航送を開始した。当初は2往復のみの取り扱いで、搭載台数は6台、後に全便になり12台、末期には13台だった。ちなみに、車両寸法に規定があり全長5.3㍍、車幅2.1㍍、車高1.85㍍、、車両重量2.5㌧未満の車両しか搭載出来なかった。
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37 旧国鉄青函連絡船の「貨車航送」。

大正14年8月に「翔鳳丸」・「「初代津軽丸」・「初代松前丸」・「飛鸞丸」により始まった、船底に数十両の貨車を鉄道線路から積み込む「貨車航送」が、国鉄青函連絡船の最大の特徴であった。ちなみに、「函館市青函連絡船記念館摩周丸」の場合は、搭載車両は48両であった。
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35 旧国鉄青函連絡船「摩周丸・操舵室」。

これは、旧国鉄青函連絡船「摩周丸」の「操舵室」である。現役時代は、関係者以外立入禁止で中に入ることは出来なかったが、現在は「函館市青函連絡船記念館摩周丸」として一般に公開しているので、函館に来た時は是非見学してほしいと思う。
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33 国鉄青函連絡船第1号「比羅夫丸模型」。

この模型は、「青函連絡船記念館摩周丸」の館内に展示されている「青函連絡船第1号」の「比羅夫丸」の模型である。この船は、「日本鉄道」が「青函航路」向けに明治39年10月にイギリスに発注し、明治40年7月10日に竣工した日本初の「蒸気タービン船」で、総トン数1480㌧の貨客船である。製造中の明治39年11月1日に「鉄道国有法」が施行されたた…
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32 国鉄青函連絡船「初代松前丸・号鐘」。

これは、「青函連絡船記念館摩周丸」の館内に展示してある、「国鉄青函連絡船・初代松前丸」の「号鐘」である。昭和20年7月14日6時30分、米軍の爆撃により函館港から退避中に火災炎上した「松前丸」は、函館湾内の七重浜海岸の浅瀬に座礁した。この時22名が戦死した。戦後「松前丸」は、引き揚げられスクラップとなった。この「号鐘」は、その時の貴重な…
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28 国鉄青函連絡船「洞爺丸海難事故」。

永い「国鉄青函連絡船」の歴史の中で、今もって人々の記憶にあるのは、昭和29年9月26日に起きた台風15号による「洞爺丸」の「海難事故」である。死者1008名、行方不明者131名を出し、世界海難史上2番目(タイタニック号に次ぐ)という大惨事になったのである。原因は、「船長の出航判断ミス」や「船の構造上の問題」等いろいろあったが、これを契機…
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27 国鉄補助汽船の「錨(JIS型)」。

これは、「青函連絡船記念館摩周丸」の館内に展示してある「補助汽船」の「錨」である。「補助汽船」とは、俗にいう「タグボート」のことで、「青函連絡船」を押したり引いたりするための船である。ちなみに、この「錨」は「JIS型」という「錨」である。
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26 大雪丸大錨。

これも、同じく「青函連絡船記念館摩周丸」の広場にある「国鉄青函連絡船・大雪丸(8299㌧)」の「大錨」である。
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24 国鉄青函連絡船「可動橋」。

青函連絡船への「貨車航送」は、大正14年より本格的に開始され、船舶への貨車搭載のための「可動橋」が青森・函館両港に設置された。現在、両港に保存されている「可動橋」を支える主塔の部分はこの最初期からのものである。青函連絡船の車両甲板と地上の線路の間は「可動橋」により接続されていた。つまり、この「可動橋」により、潮位や波等による船の高さの変…
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22 旧青函連絡船「摩周丸」。

4月28日の日曜日、久しぶりに「函館市青函連絡船記念館・摩周丸」を見学してきたので紹介したい。「摩周丸」の名をもつ連絡船は2隻ある。「初代摩周丸」は「洞爺丸」と同型で、昭和23年に就航した。現在、保存されている「摩周丸」は2代目で、「初代摩周丸」が引退した翌年の昭和40年に、「高速自動化船・津軽丸型」の5番目の船として建造され、同年6月…
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「旧函館シーポートプラザ」、解体へ。

今日の話題は、「旧函館シーポートプラザ(旧国鉄青函連絡船待合所)」の解体について。JR北海道社長は4月20日、「函館市青函連絡船記念館摩周丸」に隣接する「旧函館シーポートプラザ」の建物について、来年度中に解体し当面は駐車場にすると表明した。この建物は3階建ての床面積約5300平方㍍で、「旧国鉄青函連絡船待合所」を改築し、平成2年に「商業…
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